『式典』ではなく『・・会』としての葬儀が良いよね。

今回おじぃは癌やったけど、最後は自分なりに一生懸命意思表示が出来たし
おばぁに頑張って伝える事も出来たし、今まで何も動かなかった割によくやったと思う。
最初に一緒に決めた通りに最後まで自分の足で動けてたし、
ある意味老衰と言ってもいい程穏やかな顔で最期を迎えたんだと思う。
それでいて何を悔やむ事がある?(´・ω・`)

何も望む事は無いと思うので、悲しみと言うよりは全員で
何だかんだワーワー言いながら騒がしく送る事が出来ました。
『お別れ』と言うよりは『旅立ち』と言う感覚がとても強いので
誰も悲しむことなく皆で笑って送り出す事が出来て
色んな冗談も葬儀社の方がいてもバンバン飛ばして
葬儀社の方も一緒に笑っちゃうほどの騒ぎ様で(爆

こんなうるさい葬儀も珍しいかもな・・・
まぁ、式でも通夜でもないので逆にゆるりと過ごせて
我が家らしい送り方が出来て皆がとても満足できた感じで
誰も葬儀ととらえて無いかもしれんな(”;)

ホントに旅に出るのを見送って、バイバ~イ!って行っちゃったねぇ~
って普段の生活に皆それぞれにスムーズに戻る感じ。
悲しみが無いとそれぞれの時間って止まらないんだよね。

おばぁはこれからかもだけど、他は悲しみではなく
『80年間お疲れさまでした!』の祝福だったので
おじぃの晴れ舞台的な感じで終える事が出来ました。
ワタシ的には理想のお別れの仕方。

産まれるのは分離でもある悲しみや苦しみを体験する時。
死は元居た所に帰る、この世の卒業を意味する祝福です。
今回その様に皆で送り出せた事をとっても嬉しく思います。

それにちょっと素直になるのに何十年と時間が掛かってしまったけども
おじいの頑張りを皆でワーワー言いながら褒め称えて
あげられた事も良いお祝いになったよな・・・( ˘ω˘ )と。

どの人も最後は良かったね!って送り出せるような最後であって欲しいと思う。
不慮の事故とか、事件とかだと心が痛い・・・
全員がおじぃの様に最後を悔いが無いように過ごせれば
葬儀自体がピリピリした堅苦しい物ではなく軽やかな物になると思うし
『死』や『死体』自体が怖いものでは無く自然な物だと理解できると思う。

誰でも死ぬのに死は恐怖で死体は恐ろしい物と言う認識になってるのは
過剰に厳粛に葬儀や死を捉え過ぎて特別意識が強くなりすぎてしまっているからだと思う。
もっと自然にその人なりの捉え方や送り方をする事が出来れば
その後を過ごす人達の寂しさやちょっとした後悔の念を
ポカポカとした温かい思い出と安らぎで埋める事が出来るんだと思います。

もっと身近な物として葬儀や死を迎える事が送る側と送られる側を
隔てる事のない『式典』では無く『・・・会』の様ななじみ深い物で
お別れもその人との大切な思い出の時間になると思います。

今は世間体を気にすることなくプランを選ぶ事が出来ます。
死んでから金掛けるより、死ぬ前に楽しむ為に金を使い
死んでからは軽やかに思い出となれる様なお別れ会で幕を閉じる。
それが一番良い最後なのかな?と、今回思いました。

収骨はしないけどおじぃの骨を皆で確認して喪主の任務を無事終えました。
骨を見るのも良い機会だし滅多に見るもんじゃないし。
自分と同じ身体でもある訳だから、しっかり認識しないとね。
まだこれから生きる者の責任として。自分らしく精一杯ゴールまで走れるように・・・