色々考えさせられるよな・・・2

愛を注ぐことに対して無くなってしまうかの如くケチる事もあるのかな?
基本、愛は擦り減らない。注げば注ぐほどどんどん溢れてくる。
無くなってしまうのは愛じゃないと言う証拠かも。

ケチるってのも見返りを求めてるからこそ起きる現象かも知れません。
愛を注げる対象があるという事は、この上なく幸せに思う。
そういう風に思える人が増えれば、この現代でも変わっていくのかも知れません。
自分の愛をありったけ注いで何かのお世話をする。

観葉だって、庭木だって、畑だって、田んぼだって、何だって良いと思う。
仕事でも愛をもって何かを育ててる人が居るから
私達は食せるのであって、”美味しい”って満たされるのであって、
それが無ければ食も淡々としたものになってしまいます。

家に帰ると出迎えてくれるワンニャンやペット達。
出迎えてくれなくても待っててくれるってのが嬉しくもあり
早く帰らなきゃ!と思うものです。
何もない、殺伐とした部屋に帰りたいと思うか?って感じです。

信頼と言う愛を貰ってる。そう思えれば、もっと愛おしいと思うでしょう。
お互いの信頼関係があってこそ、一緒に生活が出来る。
人間も同じだけど、日々危険と隣り合わせの家の中って・・・
外の方が安全安心って思ったら生きた心地がしません。

居てくれるだけで満たされるのがペットと言う存在です。
人間なら、愛の結晶って言うでしょう。
やっぱり愛はどの場面でも必要不可欠。どの関係にも必要不可欠。

どの関係でも押し付ける事無く、無理強いする事無く、
お互いがお互いに対して愛を注ぐのが大前提で良い関係が築けると思う。
求めるもの同士なら・・・うまく行かないし、醜いものになってくと思う。
お互いが注ぎ合えるような関係が理想だと思うし
色々あるかもだけど長年続けられる関係が出来上がってるんだと思う。

特にペットは一緒に居られる時間が決まってる。20年は稀。
人間でも一緒なんだけど、寿命があるし、状況があるから
ずっと・・・って思ってしまうけど、実際は・・・ね。
皆、明日は解らないんだから。

ずっと一緒!ってのも、毎日の積み重ね。だから毎日感謝しないとね。
当たり前にしてたニャンとの生活。
こうやって先立つのを解ってて飼い始めたんだけど、解ったつもりになってただけで
実際は、解ってない部分の方が多い事に今更ながら気づかされました。

残して心配しながら先立つよりも、看取れる方がまだ幸せなのかもしれませんけど。
どちらにしても、別れと言うのは大きすぎるイベントですね・・・
旅立ちは祝い。そうも思います。
会えなくなると寂しい、悲しい・・・と言う気持ち(感情)を脇に置けば
無事卒業すると言う祝いです。だって、今生全う出来たからこそ旅立てるんだから。
ワタシも見習って日々精進したいと思います・・・全うして旅立てるように。